やっぱり色々と支障があるのかしら

 最近のアニメやドラマ、映画などでは何故か『第2次大戦』とはっきりさせないことが多いように感じます。
大人の事情があるのでしょうが、そこのところは中年のおっさんである私にもよくわかりません。

 少し前ですが、『二十面相の娘』をアニメで見ていて違和感を感じました。
だって日本の軍隊があんな兵器を作っているなんてありえなかったから。
でも、結局あの世界観では彼ら登場人物が経験した戦争は第二次大戦ではなく、『先の戦争』であるとされていたんですよね。
つまり実際の昭和20年代ではなく、架空の時代だったというわけで。
それを知ったとき、私の心は急激に醒めてしまいました。
なんだ、これもなのか、と。
私が子供の時には考えられないことです。
戦争のことはしっかりと語り伝えていかないといけない。
そんな空気の中で育ってきたのです。
だから、わざわざあれは第二次大戦ではない戦争だと設定すること自体に???となってしまうのです。

 邪推するならば、世界をマーケットにする場合、第二次大戦というもの自体に問題が出てくるからでしょう。
でも、どうなんでしょ。
先の戦争(架空の戦争)だといくら声を大にしても、誰が見ても第二次大戦ではないのでしょうか。
それでも設定上で、架空の戦争と明言しているからそれでOK?
ああ、いやだ。
大人の論理、ですねぇ。

 はっきり言いますが、私は戦争を肯定もしないし必要悪とも思いません。
正義など、立場によって違うのだと、日本人に教えたのがあの戦争だったと思います。
ただ、それを知ったがためにドイツとは違う戦後感を抱いたのかもしれませんね。
どちらが良いのかなど私にはわかりません。
だけどやっぱり有耶無耶にすることで第二次大戦に関する問題から逃げようというのはどうかなぁ。
まあ、ビジネスとしてはそうすべきなのでしょうけど、芸術家としては駄目なんじゃないでしょうか。

 『魔女の宅急便』での、大戦がなかったヨーロッパという世界観。
これには素直に、いえ物凄く感動しました。
この世界観と、『K-20 怪人二十面相・伝』での映画独自の世界観は大きく異なる意味を持ちます。
後者は完全にセールスを考えた上での設定でしょう。
大戦が回避された日本という世界観。
戦争がなかったのだから、いいじゃないかという反論があるでしょうがそれは筋違いです。
なぜならアレは北村想の『怪人二十面相・伝』という小説が原作だからです。
あの小説は乱歩のオリジナルと共にあの世まで持って行きたい小説でした。
とくに『青銅の魔人』の、そして第1作のラストの、闇市や焼け野原に生きる人々の描写に胸を締め付けられたからです。
戦争によって不幸になった子供たち。
貧富の差により不幸になった子供たち。
もちろんどちらも同じように不幸であるのは確かでしょうが、やはり映画の設定には首を捻らざるを得ません。
それを知ったとき、題名を『K-20』だけにしろ、と思いました。
原作として『怪人二十面相・伝』を出してもいいですが、はっきり言ってあの改変は駄目です。
あんなに世界観を変えるのならば、別の作品として提示して欲しかったですね。
単純に冒険アクションモノとしてなら楽しめたのかもしれません。
まあ、先だっての『ふたつのスピカ』実写ドラマ化と同じようなものでしょう。
受ける要素を追及し、厄介な問題を除去していけば、ああなった。
そういうことなんでしょうね。

 でも、どうなんでしょう。
サイボーグ009(白黒)の超名作(問題作ともいう)である、『太平洋の亡霊』。
あれも、世界的観点で見ると駄目なんでしょうかねぇ。
とてもじゃないが、美化しているとは思えないんですけど。
つまりはバランスの問題ではないのでしょうか。
NHKドラマ『白洲次郎』のように美化だけではない描写をきちんといれればそれでいいのでは?
『K-20』は最初からもういいやって感じでしたが、少なくとも『二十面相の娘』の方はきちんと二十面相がいた歴史の上で描いて欲しかったですね。
ま、二十面相自体がフィクションなんですけど(苦笑)。

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この記事へのコメント

グロス
2009年08月26日 18:16
ジュンさんこんにちは
 K-20は子供と観に行ったのですが、これはパラレルだとさっさと切り替えて観ていました。まあ早々に寝てしまったようで、内容は覚えていません。子供との約束を忘れて前日に徹夜仕事を入れた自分が悪いのですが。

 以前仕事の付き合いで番組制作会社の人と呑んだ事があるのですが、終戦関係番組の制作をした時に大変だったという話を聞いたことがあります。パイロット版の試写をしたら、ここは抗議が来る、この場面はクレームがつくとテレビ局の方に言われて、3分の2はカットせざるをえなかったそうです。どの番組かは教えてもらえませんでしたが、微妙な問題を扱っていたようです。

 司馬遼太郎は昭和初期からの激動の時代を、生乾きの時代、歴史と言っていました。乾燥した眼であの時代を直視するには、もう少し時間がかかるのかも知れません。
 司馬遼太郎といえば対談で戦争に勝って良い事は?と聞かれて「戦争映画は作りやすくなります」と特有の皮肉の聞いた答えをしています。アメリカもお気楽な戦争映画をやめたのはベトナム戦争の辺りからだったと思います。
 
 生乾きな何かを見すぎて、今はチョット眼をそらしてる時期だと、強引におもっています。
ジュン
2009年08月28日 00:15
グロス様、こんばんは。

なるほど、やっぱりいろいろと支障があって、というかクレーム防ぎのためですか。
でも、その昔はどうだったのでしょうかねぇ。おおらかだったのか、創り手側に気骨があったのか。
この問題は本当に難しいですよね。
ただ、思想や権益が絡まない部分で子供たちに戦争の恐ろしさを伝えないといけないと思うのです。
戦争を知らない子供たち、は幸福なことだと思いますが(心から)、戦争を知らされない子供たち、はどうでしょう?

すでに戦中を舞台にしたドラマや映画ではかなり絵空事的な描写が多くなってきています。まあ、リアルにやりすぎたら見られなくなってしまうってこともありますけどね。そこのバランスが難しい。
私も何とか戦争自体を描かずに反戦思想の小説を書きたいと思っています。

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